Vanadisの魔物娘には種族固有の文化が足りないのではないか

 なんだかここ数年、エロゲ界隈においてモンスター娘の認知度が高まってきているらしい。普通の美少女に飽き足らないあまりそっちに走るか、という印象がないこともないが、ヒロインのヴァリエーションを広げることはそれすなわちジャンルと市場の発展に繋がるので、積極的ではないにしろ歓迎する。
 だが。だがしかし、ですよ。
 僕は『魔物娘との性活〜ラミアの場合〜』をプレイして違和感を感じた。
 これ、なんか今までの人外キャラと違くね? と。それも悪い意味で、だ。
 たしかに、ニッチ系の嗜好が一ジャンルとして市場に台頭するための変化……一般受けを視野に入れたライト化は避けられない。
 だがその結果、コンセプトすら変化していやしないか?
 そう感じたのだ。

 などと言ってはみたものの、僕が製品版をプレイした『魔物娘』シリーズは『ラミアの場合』だけであり、『アルラウネの場合』『スライム&スキュラ』『蜘蛛と鳥と◎と』などは体験版のみプレイという体たらくである。
 が、それだけで僕のイメージする「魔物娘」と明らかに異なっているのが分かる。
 何が違うか。
 服を着ていることか? まぁ服を着るモンスターもいるだろう。
 上半身が人間であることか? 惜しい。
 人間の言葉で喋っていることか? 近い。
 ……思うに、Vanadisの『魔物娘』シリーズに登場するヒロイン達は、モンスターの肉体を備えていながら、生活様式がことごとくヒトと同じなのだ。
『ラミアの場合』で真っ先に違和感を感じたのは、ヒロインの生活リズムが、主人公のそれと同じなのだ。調理した肉を食べないだとか、脱皮するだとか、咬みつくだとか、トグロに巻き込んでくるだとか、そんなものは身体的特徴でしかなく、イベントの一つでも費やして賄えばいい。だが、ヒロインの種族特有の精神性や文化というものはないのだろうか
 つまるところ、彼女達は触手のような自由度の高いガジェットを持ったヒロインでしかなく、その身体的特徴をセックスにしか活かせず、コミュニケーションにおいては何の屈託も無いのだ。それはつまり、異文化コミュニケーションをしていないということ。「性活」とは言い得て妙だ。そこに彼女達との日常はない。僕達が日常と感じる空間に、モンスターの身体を持ったヒロインを引きずり込んでいるだけなのである。

 ……とまぁ、散々貶しまくってやったのだが、そんなものは、僕の求めるモンスター娘とは異なっている、というただそれだけのことである。美少女にあの手この手で弄ばれるMシチュ抜きゲーとしては大いにアリだろう。
 そも、種族特有の文化から生じる問題を解決することにストーリー性を求めれば、そのヒロインの人格などより、種族特性への屈託を解消することしかストーリーの着地点があり得なくなる。男の娘をヒロインとする場合、同性愛についての問題解決ばかりが取り上げられることになる、というのと同じ理屈である。
 そんなジャンルの方向性を狭めることは僕の本意ではないし、モンスターの下半身に美少女を乗っけただけのヒロイン、というのがこれから濫造される中で淘汰が生じ、面白いヒロインが生まれるやもしれない*1
 結局のところ、原理主義者の若造が吼えているだけのことか。これからこのジャンルがどう発展しているのか、昂ぶる下半身とクレバーな脳味噌で見守っていくのも吝かではない。

*1:未プレイではあるが、『女装山脈』は男の娘との恋愛に際して生じる問題にそれぞれの回答となる、三者三様のエンディングを用意していると聞く