三三珂『成金』感想―方言系戦闘狂ヒロインとか漢のロマンと青春の話―

成金 (メガミ文庫)

成金 (メガミ文庫)

 恐ろしいラノベもあったものである。こんな血と汗と漢気と執念、そして美少女の方言が飛び交うラノベは見たことがない。
 裏表紙の煽り文句を引用してみると――

東京の外れに住む高校生・千葉玄の前に現れた美少女。雪と名乗るその少女に闘いを挑まれたその時、彼の人生は大きなうねりに巻き込まれていく。亡き父のいた高みへと、将棋の歩兵のごとき足取りで進む玄の鮮烈な生き様。その少年の魅力だけで、【第1回メガミノベル大賞】に編集部特別賞を設立させた異色作の登場だ!

「少年の魅力だけ」では決してないのであるが、「どこもかしこも美少女美少女ってよー。いい加減飽きたわ。血と汗と妄執漂う硬派な青春ラノベとかないんかい」とボヤいてるそこのオッサン方にも是非薦めたい逸品であることは間違いない。

 いやいや、主人公・千葉玄の暑苦しくも鮮烈な生き様だけではない。ヨダレ系(と僕が勝手に命名した)戦闘狂美少女・日下部雪、土佐弁を駆使する割烹着装備の合法ロリ家政婦・華さん……ヒロインも充実している。というか水準以上に可愛く魅力的だ(ちなみにもう一人友達ポジションで田辺って娘がいますけど僕の偏ったセンサーはイマイチ反応できませんでした)
 雪ちゃんは可愛いく美しい。変な方言(大河ドラマなどで用いられる旧い方の土佐弁アレンジ?)もイカしているが、その傲岸不遜な態度も、強い奴と見たら目をギラつかせて涎を垂らすなどという戦闘狂っぷりがたまらない。そして後半に入るともう自然に(ネタバレ自重)になってしまうのだから始末に置けない。キャラ性を保持したまま、崩れるほどデレず、戯れてくる。いかにも彼女らしい親愛の表現にキュンキュンである。
 そして華さんですよ。これまた方言ヒロイン。非高知県民でも理解できる程度にアレンジされつつも、自然で流麗な土佐弁を操る華さん。玄の身を真摯に案じ、そして胸を張って送り出す母属性っぷりは萌え萌えです。ちなみに合法ロリ

 しかし、やはり、この作品の見所は、暑苦しくもアツい男のロマンだ。
 主人公の主戦法は、プロレスだ。それが戦法と言えるものかどうかはともかく、闘いにおけるスタンスは、紛れもなくプロレスラーの魂を受け継いでいる。

拳を固めた両腕を頭に添えて、やや屈む。脳だけを守る構え。胸も腹も、金的も守っていない。回避ではなく防御でもなく、耐える構え。(p16)

「泣き言一つ言わないんですね。何故ですか? ここまで痛めつけられているのに」
「言いません。痛いだけです。苦しくありません」(p82)

 相手の攻撃を全て受け止める。逃げず、避けず、止まらない。華々しくはない。だが、あらゆる男の憧れる生き様だ。この泥臭いストイックさを、試合だけでなく、日々のトレーニングから修業にまで持ち込んでいるから堪らない。男のロマンを見事に体現した主人公造形といえる。
 熱い。こういう硬派な体育会系主人公に逢いたかったのだ。
 そしてその不器用でしかしカッイイ少年に憧れる二人の同級生、彼に夢を託す大人たち、子の覚悟を受け入れ送り出す母代りの女性……戦いと青春、それに皆が乗り込み、前向きに未来を見つめ直していく。それも、各々の過去を否定することはなく、皆が皆、これからの自分に期待し、覚悟を固めていくのだ。誰もが玄のように、一歩前に進もうと踏み出すのだ。その期待すべき未来が心地良い。
 未来へと続く今を、懸命に踏みしめる。これぞ、青春というもの。


 無論、批判したい部分もある。そもそも高校生の分際で(ネタバレ自重)に勝利するたぁどういう了見だ、とdisりたくなる。体育会系として。
 たしかに、玄のトレーニングは、質・量ともに人並み外れている。執念がそうさせている。彼の強さは確かに保証されている。そして、もっともっと強くなるだろうことは疑いようもない。僕はそういうバカが大好きだ。体育会系だから。
 だがしかし、だからこそ、現時点で最強の座に上られては困るのだ。彼は強いし、その強さを得られるだけのものを積み上げてきた。そう推測できるよう描写されていた。だが、もっと長い間、過酷な鍛錬を重ね、強さに奉仕してきたヤツだっているのだ。それを押しのけて、たかが十年の努力で最強になる、というのは侮辱だ。それはあらゆる最強を目指すバカヤロウどもに対しての侮辱であって、その不自然な飛躍は、将棋の歩兵のように一歩一歩進み続けてきた千葉玄というキャラクターの生き方そのものへの侮辱でもあると僕は考える。
 ラノベにリアルを求めているわけじゃない。その作品世界の中でのリアリティの問題であって、作品に込められたテーマの問題だ。どんがめの玄、一歩ずつしか進めない玄。一つずつ、しかし着実に障害を乗り越えていく玄。その彼が十六にして頂点に上り詰める、というのは筋が通っていない、と僕は感じるのだ。
 彼が父親の背に追い付くのが、あまりに早すぎたのだ。
 だから欲を言えば、ジャンプの読みきり漫画が連載化するに当たり若干の手直しが加えられるようなノリで長編としてもっと長いスパンでやってくれ、と小一時間要求したい(何

 しかしまぁ、総評としては、良作に分類されるだろう。売上の方は芳しくないようだが、僕の狭い観測域での評判は上々だ。格闘ラノベとしてしっかり芯が通っているし、その芯で突き通した上で綺麗に〆ている。爽快感がある。個人的にはもったいない、このテーマはもっと追求できるはず、という口惜しさ(とあと美少女美少女美少女をもっと美少女!)はあるものの、とても楽しませてもらった。前半のノリで最後まで持っていかれたらもっと方々にウザいくらい宣伝していただろう。それだけのエネルギーのある作品だった。


 さあ、ここから与太トークを展開するとしよう。読んだ人向けにテキトーなことをペラっていく。

 ところで僕は、教育の本質は「知識を与えるだけではなく、自己教育力を育て、学ぶ力を身につけさせ、知的探求の自立を最終目標とする」という持論(受け売りだが)を持っている。
 これは武道の師弟関係にも持ち込めることである、と考える。
 そこで、それを『成金』にあてはめてみたらどうだろう。

合気道は禅の流れを汲んでいますが、程度はどうあれ、格闘技全般にそういうものはあるはずです。延々と、一つのことを求めていく。それが仏法の悟りなのか、強さなのか、またなにか別のものなのか。もしかしたら一緒なのかもしれませんが」(p95)

 つまり、格闘技とは探求の道なのだ。強くなっていくための、先の見えない道程。
 そして師のもとで学ぶことは、その探求の道程を導いてもらい、武への探求を自立して行えるようになることを目指すことと言える。
 どうやったら強くなれるか、身を守る効果的な方法は何か。あらゆる武術が勝つ方法、護身の方法を探究した。「戦わずして勝つ」とか「護身完成」、なんかはそういった求道の極致なのだろう。
 雪は、その探求の道を外れた。己の現時点での強さに溺れ、強くなっていく道程において後退してしまったのだ。
 強くなるためでなく、勝つために戦う。そんな生き方では、現時点で勝てる相手にしか勝てない。この先もずっと。

「伸びない。このままじゃ伸びない[…]」

「[…]雪は、甚振って苛め抜いて、その上で勝つことが楽しくなっている。しかも若くして師に勝ったから合気道なんて極めたところでこんなものって見切りをつけてしまった。鍛錬していない。せっかくの才能を磨いていない」

「雪は祖父に勝ってからは街に出かけて適当な奴を見つけては喧嘩を吹っかけ、闘い、勝利に酔いしれた。[…]けどな、集団でこられたら、銃や刃物を出されたらどうだ。骨折ならまだいいが、取り返しがつかなくなるかもしれん」(p61)

 雪は天才である。凡人が一歩一歩強くなるのに対し、彼女は飛躍する。恐ろしい速度で理を掴み、成長していく。
 だが、行き詰まれば天才もただの人だ。玄は一歩また一歩と成長し、彼女を追い抜く。まさに、ウサギとカメの対比だ。

 そしてこの作品の優れた点は、大晦日の時点では雪の方が一歩二歩と先んじているようにも見える。これからもこの追いかけっこが、二人の、そしてそれぞれの道はまだ続いていく、という予感に感じ入ることができる。

「続いていく」、というのがこの作品のテーマの一つである「継承」へと繋がっているのは間違いないだろう。