定金伸治『ブラックランド・ファンタジア』感想―ボーイ・ミーツ・ガールにおけるメインヒロインの悪堕ちとか、人工の天才の必要性とか―

ブラックランド・ファンタジア (スーパーダッシュ文庫)

ブラックランド・ファンタジア (スーパーダッシュ文庫)

 チェス。そしてそれによって行われる『真剣(デュール)』(賭博ないし貴族たちの決闘の代行)*1ラノベには珍しい題材である。描写は「なんかよく分からんけどすげぇ!」と思わせる程度には迫力があった。そして、理想的な対局や醍醐味、指し手の人格と戦法などなど、チェスに通っている理屈を一種の能力バトルのように落とし込み、独特な世界観を構築している。まぁ、主人公の雇い主が寛容な人物であったりその他いろいろな理由でデュールに緊迫感が不足している、という嫌いもあるが。

 ストーリーに関しては、やや急ぎ足すぎたか。上下巻程度でネムの天才性、特異性、可愛らしさを強調するエピソードを盛り、題材であるチェスももっと掘り下げれば物語がさらに広がったのではないかな、と、一巻で完結してしまったのが悔やまれる。
 あと、「おまえ19世紀のイギリスを舞台にしたかっただけちゃうんか」と小一時間問い詰めたくなる。もうホームズさんはいいから、と。稚拙なミステリもどきをやるぐらいなら、すべてデュールで押し切る程度の強引さが欲しかった。


 で、だ。ここからが重要なわけだが。
 ヒロインの魅力は、十分に魅せきれていない、という評価を下さざるをえない。下さざるをえないが、魅力的だったからこそ、惜しい、と地団太を踏みたくなった。
「清国の風習である纏足のよう」、と作中でも表現されている通り、布で拘束することによって成長を阻害されてしまったネム。人形のような身体では歩くことも、物を握ることすらもままならない。世話役の女中がいるとはいえ、主人公・スィンがいなければ生きていけない。そして姉(これ重要)。さらに世間知らずを通り越した幼児性(これも重要)。かと思いきや、そのか弱いはずの少女が邪悪な笑みを浮かべ、敵手を嘲り、悪魔のような指し筋で手玉に取る。そして一人称がオレになる(ここも重要)。
 僕の大好きな殺戮ビッチロリである。フリークスである。しかも姉である。ギャップ萌えである。そしてそれだけに留まらない。
 そのヒロインを魅せるための構成も巧いのだ。第一章冒頭で殺戮ビッチっぷりを披露してくれるのだが、それが見事な「引き」になっている。時間軸が遡り、スィンとネムの出逢いの場面、日常(姉成分はスポイルされるがワガママお嬢さんのネムも可愛い)と、キャラの日の当たる面が描かれる。そしてそれによってディール時の悪辣さが演出される。
 もう一度言うがネムが可愛い。


 そして本作で僕が最も注目しているのがこれ。

・悪堕ちメインヒロインとの死闘による成長

 ネタバレ甚だしいが、物語終盤、ネムはスィンと敵対する。そしてスィンは、ネムに自分の意思を示すために成長し、真に自分らしい指し筋に目覚めることとなる。
 この構造は巧いな、と感じた。主人公に力を与えるメインヒロインを悪堕ちさせ、その出会いによって得た力を克服させる。通常、主人公はヒロインとの絆を深めることにより、ヒロインによって得た力を増し、巨悪に立ち向かう。しかし本作は、ヒロインによって得た力に自力で打ち勝つことによって、主人公の成長を明示する。ボーイ・ミーツ・ガールの一つの手法として評価の価値があると考える。




 で。
 ここからは、僕の好き勝手な与太を垂れ流すスペースです。

・人工の天才である必要性
 作品内で、ネム自閉症的な傾向(より万全を期すなら高機能自閉症)を示す。数を数えるように事物を認識し、状況を演算するという機械的な思考然り、年齢不相応な言動然り、他者の言葉を疑えないこともまた然り。
 それは彼女の特殊な生育環境に起因する。四角い部屋の中から出ることなく、壁の傷や降り積もった埃を「数え」ることのみをずっと続けてきた。それにより破格の観察力と演算力を手に入れることとなった。そしてそれが、事物のカテゴライズなどを苦手とする自閉症患者独特の思考のクセに繋がる。事実をあるがまま、見た額面通りに処理するのだ。そして思考は機械的で、融通の利かないものとなる。
 だが、ネムは世間一般に言われる発達障害を持っていない。ネムの歪みは、「認知」でなく「認識」にあるからだ。発達障害は先天的な微細脳機能障害から生じる。これに対して、ネムの思考のクセは、特殊な生育環境によって形成されたものだ。肉体的な障害も含めて、ネムは人工のフリークスとなってしまった。これによって彼女の父親であるチャールズ・リスタデールの異常性が強調され、それに伴ってネムの悪魔的な頭脳は説得力を増す。
 だがここで一つの問いが生じる。
 なぜわざわざ、ここまで執拗にネムをフリークス化せねばならなかったのか?
 まぁ、「姉の椅子になりたい! 天才で悪魔で天使で……ぶっちゃけ俺なしには生きられない姉とか欲しい!」という作者の趣味も多分に含まれていただろう。
 が、ここには実にサブカルチャー的な必然性があった(と僕は考える)。
 ラノベやマンガにおいて、登場人物がギフテッドのような「生まれつきの天才」の一言で済ませられない、という事情がある。なぜ天才なのか、読者が納得できるように説明しなければならない……つまり、天才であることの理由付けが必要になる。サヴァン症候群のような先天的な障害の反動なのか、トラウマによって歪められ偏執的な人格が形成されたのか、といった。まぁ、羽野海チカ『3月のライオン』『ハチミツとクローバー』などが代表的だろう。天才的な能力を得られるまでの過程やそれによる人格の歪みなんかも人情話や悲劇にしてしまえば読者の共感が得られるのは確かなので、有効な手法ではある。

 まぁとりあえず、天才に理由なんか要るかよ、無意識のうちに人よりも多くを学び豊かな発想が湧いてくるから天才なんだろうがよ、天から賜った才なんだからよ、狂人や秀才とは違うんですよ、天才に理由を求めて理解できる範囲に貶めるなんざ凡人思考なんだよ、と無意味なボヤキを入れて〆ることとしよう。

3月のライオン (1) (ヤングアニマルコミックス)

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ハチミツとクローバー 1 (クイーンズコミックス)

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*1:将棋を題材にした団鬼六の『真剣師小池重明』は未読なので比較はできませんが